2011年05月28日

20110528 High Volt Gate

仕事から帰る途中、午後十時頃の風景ってなかなか新鮮。
中高生が塾や予備校から次々と出て来て、笑い合いながら帰宅してゆく光景はとても憧憬を感じてしまう。まともな学生生活を送れなかった人間には、胸の奥が締めつけられるように熱くなるけれど、これが嫉妬という感情なのだろうかと思うと、少し違うかもしれない。
俺が中学生の頃からずーっと何も入っていなかった大型二階建ての社宅に、なぜか煌々と明かりが点いているのを見て恐怖する。ゲートは閉じられていて、奥の駐車場には一台の車も停まっておらず、人気も何もないのに、なぜか道路から見える階段二階の踊り場の蛍光灯が輝いているのをこの目で見てしまった。ぞっとする。

ARMORED CORE V EXTENDED 2 〜The LIVE for REBOOT 〜
ゲーム中に一瞬だけ見えたローディング画面に表示された、ACの設定?
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■アーマード・コア
地上の荒廃以前に普及していた兵器といわれ、各地で発見されるが、詳細は不明。
各部のパーツが規格化されており、また人型を模したことで、様々な武器の使用や、
多彩な挙動が可能であるなど、高い汎用性を持つ。
ACは現存する兵器の中では、比較的高性能な部類に属するため、
希少品として取引されている。
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うーん、AC4やfAの世界から更に数百年後くらいの話?AC初代シリーズよりちょっと前くらいで、4系と初代系の繋ぎみたいな感じの。ACがすっかりオーパーツ的な存在になっちゃって、SF好きには堪らない設定です。オープニング終盤で回収されているACは、地下から発見された残骸なのかな。Twitterを眺めていると、パーツの型番に付いている名前みたいな単語は、発掘された地域を記しているという説を聞いて胸が躍りました。なにそのかっこいい設定!
あと見どころはタンクですよタンク!ちゃんとキャタピラが回るようになってるー!ジャンプというか上昇ブーストの加速度もそリアルっぽい挙動になってるし、まぁ三角飛びはまぁできなくてもいいやな!そんでタンクなのにキックができるって一体何事!?Ustのデモプレイでは何やってるか全然分からなかったけれど、ちゃんと見たかったなー。タンクの前面が接触した瞬間に敵が爆散したみたいな雰囲気だったし。オートキャノンも想像とはちょっと違う武器だったけれど、これはこれで初代や3系ネクサス系の指マシみたいな武器なのかな?あれと比べたら威力と射程がかなり割増になってるだろうけど。

職場の飲み会へ行く前の一時間ほどの合間にACfAのオンへ出撃していたところ、日頃からTwitterで仲良くして下さっているシロタカさん[@fortysix046]さんが訪れ、スパーリングに付き合って下さいました。
以前にも紹介したzoomeのフレンドLさんとともに、俺の実力と上手い具合に均衡している方で、彼との対戦は非常に死闘というか激戦というか、かなりギリギリの勝負になります。

■新型の重量逆関節機「Colonereturl」(コローネリトゥール)
ハイランドAC部隊のカルミナ用過去機を実戦向けにリファインしたネクストですが、かつてアリシアを用いていた軽量機の面影は既にどこにもありません。近接防御火器にモーターコブラ、中〜近距離の打撃力に拡散バズーカ、安定した主力のダメージソースに重垂直ミサイル、リスクは高いが上手く行けばリターンもデカい博打武器コジマミサイル、こんな感じの武装配分で戦闘を進めます。胡散臭い強武器を山ほど積み込んでいるのですが、リンクズの腕があまりに粗製なためか勝率はあまり誇れる数字ではありません。
全体的にフレームのエネルギー防御に難がありますね。機動レーザー持ちの突撃機とかに来られたら一分持たずに死ぬ自信があります。

■フィードバックに憧れた腕バズ機「paladox eden」(パラドックス・エデン)
重武装の中量二脚機です。普段は殆ど使わないミサイルの運用試験機の側面もあります。腕バズと山鹿の実弾ゴリ押しで優勢に戦闘を進めていたのも序盤だけで、後半から凄まじい大逆転劇…自分の愚かさに目を覆いたくなりました。正直言って、こんな風に追い上げられたのは初めての経験です。シロタカさんの愛機レーバテインと相見えたのは今回が最初ですが、流石に真剣勝負においての集中力は驚異的としか。途中から何も当らない……。

六月二十四日〜二十六日の日程で現在計画中の大分旅行プラン暫定。遠距離への単身行軍は非常に不慣れどころではなく全くのビギナーなため、不安な部分は余裕を持って時間を見積もっています。飛行機に乗るなんて生まれて初めてだ!復路はまた後で検討するつもりです。
自宅(自家用車-6:30)→
(7:30)並木二丁目(高速バス-8:05)¥1,150→
(9:45)東京駅(JR山手線外回り・品川・渋谷方面-10:26)¥150→
浜松町駅(東京モノレール空港快速・羽田空港第2ビル行)¥470→
(10:55)羽田空港第1ビル(飛行機-12:35)特便割引3C ¥26,170→
(14:15)大分空港(バス-14:44)¥1,450→
(15:33)JR別府駅(徒歩)→
(15:40?)【ホテルフジヨシ¥9,400orホテルはやし¥6,700 ※計画中未定 】→
どこかで待ち合わせ。

それで、今日の午後一時頃に急に電話が入って、雨が小康したから神栖市に来てほしいとのご連絡。今から行っても作業開始は三時頃になっちゃうけど……と嫌な予感満載のまま車に乗り込みました。
現場に到着して、いつものような金属パイプジャングルに入り込んだら、鉄板敷きの足元に強い違和感。……これ、雨で濡れてるだけじゃない。グリスか何かの機械油でぬめってるんだ!
ボルトや計器、生産機械剥き出しで、そこらじゅうに細かな配管や鉄骨が這い回る中、背筋が寒くなるほど滑りやすい足場の作業は、なるほど確かに普通の人じゃあできないでしょう。下手に転んで顔を打てば目玉とか鼻とかは軽く持って行かれるでしょうし、頭を打ったらそのまま中身が出ちゃいますもん。将来有望なエリートさんや、よぼよぼの爺ちゃんには確かに任せられない作業と納得です。
というかこれ、合法的に人を殺せる労働ですよね。
それで、開始三十分くらいで全身びしょ濡れの機械油まみれ。日がすっかり暮れてからも再測しに行って、観測用の光量が足りないから懐中電灯で要所要所を照らして何とか凌ぎました。こんな所で下手に死にたくない一心で、ごくスローペースに作業を続けたぶん、なんとか俺は五体満足無事に今日を終えられたけれど、明日まで仕事が残っちゃってみんな不満みたいです。測定ポイントの残りはあとたったの四つだけだし、明日の午前中一時間くらい使えば誰にやらせてもできるでしょ……俺は頑張ったよ……。
でも、帰りの風景は凄く幻想的。雨の降りしきる中の巨大化学工場の夜景って、とても綺麗で美しかった。これを見れただけでも、今日頑張って仕事した甲斐はあったような気がする。写真に収めたかったけれど、構内の規則で禁止されてるんだよね。残念でした。

俺、今日一日だけでどれだけ被曝したんだろう。
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TO-MAX Presents 2nd MINI-ALBUM Reinforce


明日五月二十九日に京都市勧業館(みやこめっせ)にて開催されます、関西音人(かんさいねっと)において、Project TO-MAXさんがサークル参加・頒布される、TO-MAX Presents 2nd MINI-ALBUM -Reinforce-のジャケット・レーベルデザイン、及びポップデザインを担当させて頂きました。TO-MAXさんのお手伝いは今回で三回目となりますが、いつもながら製作の過程では、格別のご厚意とご支援、温かい言葉に幾度も助けられ、誠に感謝しております。イベントの成功を祈りまして、この場を借りてささやかな告知のお手伝いをさせて頂きたく存じます。

Reinforce_jacket_small.jpg

TO-MAX 2枚目となるミニアルバム。
breakbeats (breaks / bigbeat /oldskool etc...) に焦点を当てた、非4つ打ちダンスミュージックを追求。過去のリメイクやリミキサーによる boundless project 収録曲のリミックスも収録。

01.contact force sense
02.endbringer (sunrise new edict)
03.Asynchronous (Kreative Style Trigger's Remix)
04.silence
05.Violent-Attack
06.Trail BlazeR
07.Dark Armed Tribe
曲名をクリックすると試聴できます (128kbps /45sec)
試聴の公開順番は曲リストの順番とは異なります。
なお、個人的な感想としましては、02.endbringer (sunrise new edict)と04.silenceが非常に俺好みです。

composer: DAN (All Tracks)
remix & arranged:POM / K's-traX / ELE-G
mastering: DAN
jacket design: TRBRCHDM
CD構成 : 薄型ケース・表ジャケット・12cmCD ピクチャーレーベル

2011年05月24日

20110524 多重横断

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ファミマのファミポートであしなが育英会に寄付金を注入してきました。やっぱり募金てもんは子供の支援に充てるのが一番好きだねー。子供ってのは親や個人の所有物じゃなくてさ、社会全体にとっての資産ていうか財産ていうか、なんて言ったらいいか適切な言葉が思い浮かばないんだけど、とにかく希望そのものだと思うのです。

動かせる機械がだんだんと増えて来たので、あっちこっちを駆けずりまわってお仕事をしています。とはいえ、本当にただ動いてるだけです。頭を使って段取りを組んだり、製品の流れを把握して工程の掛け方をコントロールしたりなんてのは夢のまた夢。何がどうなってるのかさっぱり分からないので、目の前に来た作業を片っ端から片付けてるだけの、誰にでもできるような底辺労働者としてお給金を掠め取っています。
仕事の日は、なんだか働いて飯食って風呂入って寝るだけの日になってしまうよ。布団に入った次の瞬間に目を開けると、もうそこに朝が来ているような、そんな感覚に陥っちゃう。
直接の上司に「先輩がおっかないので仕事辞めたいです」と泣きついた次の週には、当の先輩の態度が非常に軟化していて、ちょっと拍子抜けしてしまった。とても働きやすくなって万々歳なんだけど、上の方ではいろいろあったのかなー。なんだか申し訳なくなります。
あれこれ機械の操作や点検の仕方が分からないので、引き継ぎに来た次のシフトの人にちょくちょく教えて貰います。先日22日はとある機械の始業点検の仕方について、いつも休憩時間にPSPを持ち出してモンハンをプレイしているBシフトのM本さんに教えを請いました。
なんていうか、みんな普段が忙し過ぎていちいち教えてる暇なんてないから、こうやって手近な隙間を見付けて、なるべく仲のいい先輩に「これ教えて下さいー」って頭下げて頼むしか、仕事を覚える方法がないね!同じ派遣社員の皆さんは、幸いにして年代が俺と近かったり、あるいはひょうきんなおっちゃんばっかりですごく癒されます。みんないい人だよーすごくいい人だよー。
なんか社会人を一年生からやり直しているような感じだけど、実情はまったくその通りなのでぐぅの音も出ない。悄然とする他ない。

そろそろ深刻に茨城を脱出して西日本に行きたくなってきたけれど、身を寄せる場所も思い当たらないや。三重に住んでる親戚の家を頼るのも気が引けるし。貧乏と引き換えに部屋を借りるにしても、まず現地での職場と安定した収入先を探すのが先になるんじゃないのか……。せめて今年中には何か打開策を見付けたいです。

美浦村舟子「いさ美庵」のたぬきそば ¥580
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値段的にだいぶ手頃なので、五月には二回ほど行きました。家の近場にはすき屋とかもあるけど、あそこはあんまり行きたくない……。
やっぱり人間って、お腹が空いているのは良くないことだよ。すごく落ち込むし、辛くなるもの。酷い目に遭ってすごく嫌な気分になったら、暖かくて美味しい物を食べるべきです。お茶を飲んだりお菓子を食べるだけでも、とても気分が楽になるんだ。

とにかく八月までは絶対に死なない。正確には七月十三日〜十八日までは絶対に死なない。
あと来年にcakさん誘って北海道旅行に行ってしずるさんに会うまではなるべく死なない。
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2011年05月23日

20110523 Flores de la primavera


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満開のナデシコ(撫子)

あれから数日が経って、群落が満開になったナデシコ。天気のいい日に映える花ですね。青空の下の薄桃色がたいへん好きなのです。自分としてはお気に入りの花なのですが、家族の評判はあまり良くないのです。なにぶん、家の敷地のだいぶ邪魔くさい所に陣取っているので……。

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シャクヤク(芍薬)

古来から女性を褒める際の引き合いに出される花ですが、俺の家の連中はどうにも華美ですね。これではまるでフラメンコダンサーみたいです。元気がいいのは嬉しいのですが。

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ユズの花(柚子)

近づくととてもいい匂いがする。天気が暗いのであまりいい写真にならなかったけれど、清楚な白さがとても綺麗なのです。本当はアゲハチョウとかの好物なのに、家の株にはあまり虫が寄りつかない不思議。

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クレマチス(和名:鉄仙)

先日に撮ったものと比べて、こちらはだいぶ装い綺麗に咲いてくれました。実に堂々とした立ち振舞いです。

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スミレ(菫:パンジー)

俺が物心付いた頃には、既に軒先の足元を占拠していました。ここ最近はノースポール軍団に勢力が押されがちですが、最盛期となる季節が微妙にズレているので、妙に上手いこと共存している様子です。小さい頃は紫一色の群落だったのだけれど、やはり最近のたった数年で黄色や薄紫色の株がぼちぼち現れて来ています。一体何がどうなっているやら。

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バラの鉢植えに出現したレタス

家の脇に放置しておいた薔薇の鉢植えなんだけど、しばらく見ないうちに何故かレタスが生えていました。どっかから種が飛んできたのかな?食べるのも勿体ないので放置しているけれど、なんだか不思議な感じです。
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2011年05月18日

20110518 A DENALI

いまはもう職場でリーダー格を担っている、別のシフトの先輩方の話を聞く機会があった。何でも、今より四〜五年ほどは、間違えるといちいち叩かれながら、教えられていたらしい。ほんの数世代違うだけで、そんなおっかない世界があったのだなぁと、なんだか気が遠くなる気分だった。

それにしても改めて思い知らされた事に、この工場はよっぽど景気がいいようで、今日もまた新しくこのシフトに新人が入って来た。俺だってまだまるっきりヒヨっ子なのに、もう三つも年下の後輩ができてしまった。それに加えて、なんだか新人研修中らしき人があっちこっちをウロウロしているし、復旧前の半分も製品が流れていないのによくそれだけの余力があるものだと感心する。大企業とはいえ、こんなご時世にとんでもないもんだ。

今日はアインハンダーの夢を見ました。
EOSラッシュの中でなぜかライオットばかり掴んじゃって「これはもう死ぬしかない」とか絶望しながらも何とか凌ぎきり、道中でとうとうスプレッダーを奪取して喜んだらそこで目が覚めました。背景でゲシュテルがいつものように踊ってたけど、俺もあんな風なモーションで歩いたりダウンしたいといつも思ってる。


とても気になるゲーム、"Child of Eden"
古くはRezを始めとするLSDゲームのルーツだろうけれど、ここまでビジュアルが進化すると本当に綺麗。

アーマードコアXの公式サイトにあるスクリーンショットを眺めて、アセンブリ画面のパラメータ表に目が留まった。KO-6K/PAUKIという榴弾砲にあった「爆発力:KE」という数値から、防御力:KEというパラメータは耐爆発性能ということになるのだろうか?跳弾性能という所も気になるけれど、これはバーチャロンオラタンにおけるVアーマー的なものを想像しています。遠距離からの砲撃や、あるいは近距離でも小口径の豆鉄砲は軽く弾き飛ばしてノーダメージっていう、防御側のクリティカルみたいな感じで。
Ustreamでの配信を観た限りは、ずんぐりむっくり鈍重そうな見た目のイメージに反して、上手い事行けば4系や初代系並みの高機動戦闘ができるかもしれない様子。
あと、こーほーやないさんのブログ(こーほーやないの、広報支援!!)で後悔していたスクリーンショットだけど、二枚目のオートキャノンを装備していたタンクがすげーかっこいいな!なんか車体下部に噴射口のようなものが見えるし、無限軌道も見当たらないから、もしかするとコレってホバタンなんだろうか。大口径の威力重視型速射系武器って昔から大好きでさ、3と3SLのチェーンガンとかには当時本当にお世話になったっけ。fAのガトリングは上手く扱えなかったけれどね。

日本赤十字もなんだかいい加減で信用ならなくなってきたので、震災とは特に関係なくとも、具合の良さそうな寄付先を探している。なるべく寄付金控除を受けられる所……と書くと卑しいかな。■社会福祉法人子どもの虐待防止センターとか、■世界の医療団とかに注目したけれども、結局いま寄付を続けているワールド・ビジョン・ジャパンへの増資で落ち着きそうな気配。信頼性っていうのは大事。

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それで、今日の午前中は家族を病院へ送迎したあと、暇な時間を使ってトレーニングセンターの近隣でお散歩。広報会館の屋上からターフを撮影。

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あちこちお馬さんが走っていますね。

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お気に入りの公園。眩い陽光を透かす新緑と、辺りに落ちる木漏れ日がとても綺麗です。

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今後は、自分の生き方をだんだんとシンプルに収斂させようと思う。自分自身のキャパシティはとても小さい割に、盲目的に散発的に物事を浅く広く齧って、どうにも寄り道をし過ぎてしまった。
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2011年05月15日

20110515 森林浴

昨日の夜は何もしないまま、ぼーっとネットの巡回だけで一夜が更けてしまった。
本当に人間というものは、メンタルが弱まるのに比例してひたすら自堕落になりますね。

こんな日に限って、どうして家族の皆が揃いも揃って不機嫌なんだろう。
とばっちりを食らうのが嫌で、部屋の掃除を済ませたらさっさと外出してしまいました。
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彼ら彼女らと論理的で建設的な会話や議論がまるで成立しないのは、それこそ物心ついてからの長い諦めごとだけれど、リアルの身近に真面目な相談ごとのできる人間がどこにもいないのは、無い袖は振れないとはいえ、この今になっても悲しく思う。病院に行きたいけれど、土日は開いていないし、平日だって診察は午前中だけなんだもの。

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竜ヶ崎市にある公園で森林浴です。今日はとても天気が良いので、子供連れ家族が多く見られました。キャンプに来ている集団もいたらしく、バーベキューか何かを催している光景も。

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お昼ご飯。気分がどうしても塞ぎ込みがちなので、こうしてせせこましくお金を遣い、やっとの思いで気持ちを落ち着かせています。将来に何かの中毒に陥るような気がして、少し怖いです。

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満開のナデシコ。よく晴れた日に、好きな花が元気いっぱいに咲いていると、それだけでとても嬉しい気分になりますね。

家の裏手にもぐらが死んでいたので、穴を掘って埋めてあげました。

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なんとかして今日中には気分を軽くしなきゃ。少し仮眠を取ります。暗くなったら起き出して、メールのお返事などに取り掛かるつもりです。
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2011年05月14日

20110514

ブログのTOPが下の記事という状況が嫌で嫌で仕方なく、何か更新をしなければならないという思いに駆られても、何も書けない。

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せっかくの良いお話を貰っても、まず差し迫った現実が処理できない。
まともな返信すら送れないままでいる。
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2011年05月11日

20110511(2) 思い出ばなし #3

すみません、とても読み辛いと思います。

Vistigsmall.jpg

高校に入ってすぐは、とても順調な滑り出しだった覚えがある。
高校一年の一番最初、俺の近場の席となった女子生徒に、S井さんという方がいた。S井さんは分け隔てのない、朗らかで明るい人で、席のすぐ隣だった俺には積極的に話しかけてくれて、じき仲良くなったのだった。成績も優秀だったし、スポーツも得意で、所属は確か吹奏楽部か、そういった音楽系の部活だった覚えがある。生活も品行方正で、驚くほど隙がない。席替えで離れてしまって早々、定期試験の現代文で一位を取った俺だが、廊下に張り出された紙を眺めて、S井さんも数学で一位を取っていたのを目にして、とても嬉しくなったのを覚えている。その後、S井さんと教室でばったり出会うと、「一位おめでとう!」と笑顔で言ってくれて、驚きと同時に感動した俺はろくに二の句も告げず、「ありがとう、あなたも。」と絞り出すのが精一杯だった。まだ親しい友人も校内に居なかった俺にとって、その出来事がどれだけ救いになったか。

高校一年次の、三学期か、それくらいの時期だったと思う。
最初に奇妙な違和感を覚え始めたのは、まず自分の身体だった。

手がやけに引き攣るような感覚がして、力の加減ができなくなった。
シャーペンを握ろうとすると強く握り過ぎてしまい、五分も書き物をしているとそれだけで疲れてしまう。逆にそっと握ろうとしたら、今度は力が軽過ぎてペンの胴を保持することさえできない。
この不可解な身体の違和感は、じきに脚にも伝播し始めた。
まともなフォームで歩くことができない。まるで脚が歩き方を忘れてしまったように、強張った歩みしかできなくなってしまった。
歩こうとすると、外見からはあまりにも異常な歩き方で歩いてしまうので、仕方なく「普通の歩き方」を強く意識して、他人の動きを真似て歩くしかない。
これもまた凄まじく疲れる日常だったが、自分もこうした異常が理解できず、相談は誰にも、どこにも出来なかった。
担任の先生は良い方だった。明らかに異常な不調を示し始めた俺に目敏く気付いて、何度も心配の声を掛けてくれたし、特別に家庭訪問もしてくれた。だが、当時の俺は自分がどうなっているのかまるで分からなかったし、まともな対応もできないまま、彼の厚意から逃げているばかりだった覚えがある。恩人である彼が、いまどこで何をなさっているのか、まるで把握できていない。去年に年賀状を送っても、住所不明で帰って来てしまった。高校時代に友人など一人もできなかった俺は、そのまま誰に消息を聞くこともなく過ごしている。

次に起こり始めた症状は、夜の不眠と、昼間の凄まじい眠気だった。
俺はもともと、小さい頃から寝付きの悪い人間で、布団に入るのが例え十時ほどでも、夜の一時まで寝付けないくらいが普通のことだったのだけれど、
高校に入ってからの寝付けなさは、これはもうはっきり不眠症と言ってもいい程だ。
一時どころか明け方の五時近くまで眠れないのは日常茶飯事で、酷くなると通学のための起床時刻まで、一切まったく眠ることができない、徹夜の状態だった。
夜に眠れないことによる疲労と負荷は昼間に押し寄せて来て、有り得ない事になんと授業中に眠ってしまう事態が頻発。
最初の一回こそ、先生は笑って許してくれたが、二回三回と続くと激怒し、しかしそれが更に続くようになると、「一体どうしたんだ?」と教職員室で心配してくれる程になった。
しかし、自分でも何が原因なのか分からない。いや、原因は分かっているのだが、それが何故起きてしまっているのかは全く見当もつかない。
結局、か細い声で、「すみません。」と言う他なかった。

二年次に進級すると、異常な身体の強張りは、更に悪化の一途を辿った。
筋肉が勝手に緊張してしまい、椅子に座っている姿勢を保っているだけで、身体をガチガチに、意識的に抑えつけなければならない。舌や顎が引き攣るというのは、更に凄まじい苦痛だった。
家で休んでいるときでさえ、一瞬でも気を抜けば、そのままその場でのたうち回りそうなほど、全身が強張っていて少しも休むことができない。
当然の事ながら、まるで授業に集中することができず、成績は明らかに急降下していった。
とにかく真面目で従順だった俺の、異常な成績の低下具合に気付いたのは、まず誰よりも教職員である先生方で、みな誰も彼もが俺を心配してくれたのだが、俺にも原因は分からないのだから「わかりません」と返すか、あるいは明らかにその場凌ぎの嘘でやり過ごすしかなかった。
両親の狼狽はもっと酷く、ほとんど半狂乱で何かを言って来たが、俺には何の反論もできない。
級友たちも、それはそれは敏感に、異常な挙動を示すようになった俺に気付いたようで、明らかに遠巻きにするようになった。その頃はもう身嗜みに気を付ける事すらできず、散髪さえ疎かにしがちで、寝癖だらけのぼさぼさの髪を晒して行くものだから、皆うんざりしていたことだろう。青白いを通り越して土気色になった不健康な肌に、生気の無い目をしていたし、肌荒れも酷くて、こんな人間はさぞ目障りだった事だろう。

親に自分の体調不良を相談できて、やっと病気だということを打ち明けることができたのは、夏休みも終わってしばらくのことだった。
最初はどこの病院に掛かればいいのかも分からず、何軒かの内科をたらい回しに点々としていたが、ある時に、一軒の心療内科医を紹介された。
そこはキリスト系の医院で、斜視の医師だった。
彼は俺の病名を『自律神経失調症』と言ったが、その時のその言葉は、実は方便だった事が後で分かっている。
血液検査の結果で、「甲状腺ホルモンが異常な高い値を示している。」と言われたが、当時の自分には何の事だかも理解できなかった。
けれども、彼に処方された薬は驚くほどの効き目があったし、またとても穏やかで、物静かな人物で、自分はすぐにそこの診療所が気に入ってしまった。
ただ、問題はその薬が、あまりにも効き過ぎることだった。
睡眠導入剤(つまりは睡眠薬だ)として渡された薬を飲むと、学校の日の朝には全く起きられない。辛うじて起きられたとしても、通学の間はほとんど眠っているのと同じ状態で、学校の授業中に起きている事さえ極めて困難だった。これは薬を弱めても状況は改善しなかった。
同じように、身体の痙攣を抑える薬を飲んでも、副作用である異常なほどの眠気に悩まされた。本来から「ちょっと眠くなり易い薬だから」と言われて処方されても、既定の分を飲んでしまえば、もう翌日の授業は絶望的だった。
結局この睡眠導入剤と、治療のための薬は、どちらも数か月もしないまま、自分で飲むのを止めてしまった。
医師からは「飲まなきゃ良くなれないよ」と言われても、仕方のないことだ。だってまるで授業にならないし、先生方も寝ている生徒がいれば気分が悪いだろうし、誰の利益にもならない事だと思ったからだ。

薬を飲むのを止めてしまうと、病気の症状は更に悪化した。
時々の発作で起きる事だが、眼球まで勝手に動くようになって、真っ直ぐ前を見続けることすら困難になった。自力で意識的に前を向くよう、眼球にまで力を籠めて姿勢を保持しなければならない苦しみを、誰が分かってくれるだろう。
こうなると、慌てて薬を二回か三回分は飲んで、無理矢理発作を鎮めるのだが、それにも効き始めるにはタイムラグがある。
こうした眼球が裏返る発作を止めるには、何か近場にある文字列を読むのが便利だった。シャンプーの容器でも、菓子の包み紙でも何でもいい。成分表や道具の文字列を読むよう、視線を制御しながら何度も目で追って、声に出して朗読していると、何もせずじっと休んで我慢をしているより、随分と楽だった。
しかし、発作が治まったあとも辛かった。
強い薬を一気に数回分も飲むのだから、体への負担は大きく、その日一日中は極めて強い吐き気に悩まされることになる。
休日は何もする事がない。ただ、昼間に起きているのが嫌で、貰った睡眠薬を一気に飲んで、気を失うようにして眠った。それでも長くは眠りが続かず、午後にはいつも起きてしまう。今度はまた睡眠薬の量を増して飲んで、また眠った。
こうした事を続けていると、貰った睡眠薬はすぐに底を尽きてしまう。二週間分の薬をたったの一週間で飲み尽くしてしまって、苦痛に耐え切れずにまた病院へ行った。お金はすぐになくなったし、先生にも嘆息されたが、現実に生きているだけで猛烈な不安と苦痛に襲われる俺にとって、眠ることだけがほとんど唯一の安息だったのだから、この悪癖はこの後何年も続くことになる。

じき、クラスへ登校することさえ憂鬱になった。
五人ほどの男子グループは明らかに俺を嘲笑し、実際的な暴力を含めた排除行動に出るようになったし、他の殆どすべてのクラスメイトも、俺を怪訝な、冷ややかな目で見ている。
談笑の沸いていた楽しげなクラスに、俺が一歩入った瞬間、教室が静まり返り、くすくす笑いがそこかしこに漏れる。こうした記憶は、生涯忘れることはないだろう。
それからさほど遠くないうちに、俺の仇名は「障害者」になった。
授業の全てを休みがちになり、朝から教室に直行することは殆どできなくなって、保健室登校の人間になった。
実際に何かをされて、教師たちに「誰にやられたんだ?」と詰問されても、具体的に誰だとか名前を言う事ができない。クラスメイトの名前なんて覚えてもいなかったからだ。写真を出してくれれば指すこともできただろうが、そういった事を口に出す気力も勇気もなかった。

ただ幸運があったとすれば、当時は少年バスジャック事件や、酒鬼薔薇聖徒といった凶悪な少年犯罪が世間を賑わせていた頃で、教職員から明らかに問題視されていた俺は、学校からとても手厚いケアを受けられることになったことだ。
とても立派な応接室に招かれて、校長先生や教頭先生、学年主任の先生が、一同で自分の話を聞いてくれた事もあった。
授業数の五分の一までは欠席しても、進級のための単位を認めてくれる約束さえしてくれた。

学校に行くことが、とにかく苦痛で仕方がなかった。
例えば体育の授業が始まると、俺はそっと場から抜け出して、別の所で過ごした。
屋外で、クラスメイトが別々の班に分かれ、テニスやサッカーに興じている頃、俺は彼らの目の届かない用具倉庫の中で、延々と壊れた備品を撫でていたり、ぼうっと空や、校庭の木々を見て時間を潰した。
体育館での授業も同じで、そそくさと出て行く俺を一通りクラスメイトが笑って、その後は一階の階段の陰とか、とにかく彼らの視界に入らない所でじっとしている。
ごく稀に、体育教師が自分を相手に誘ってくれることがあった。バドミントンや、そういった科目でだったが、まるで身体の動かない俺には、どれもまともにこなせた試しがなかった。木偶人形のような、人間らしい動き方すらできない俺を見て、彼らはどう思ったのだろう。未だに申し訳なさで胸が塞がる思いだ。

昼食なんて、どうやっても教室の中では食べる事ができないので、学校の中を彷徨い歩いたあと、その時間帯には基本的に誰もいない、職員室前の大会議室で取っていた。これは後で先生に見つかり、どうしてこんな所に居るのか、昼食は決められた場所で食べるべきだと言われたが、他に行くところがないのでどうしようもなかった。カフェテラスやロビーは沢山の生徒が陣取っていたし、幅広の廊下に置かれたベンチだと人の目が恐ろしかったし。結局、その後も自発的にはこの習慣を直すことはできず、呆れた先生方に「別棟三階の書道室を使ってもいい」と言われて、本当に安堵したのをよく覚えている。
書道室は、授業としては自分に縁のない場所だったが、生徒が集う教室の集中した棟からはかなり距離があるので、よっぽどの用事がなければ、他の生徒はここに訪れることは無かったからだ。三階で眺めも良く、静かで、昼休みの時にしか来る事はできないけれど、とても救われる場所だった。

授業中は筋肉を押さえつけるのに精一杯か、あるいは眠気を耐えながら過ごすしかなかった。殆どのテストには何も書くことができず、最初の頃は氏名を記すことさえおこがましく思えて、そのまま名前さえ書かずに提出していた。後で先生方から「名前だけでも書いてくれ」と言われてこの悪癖は治ったが、生まれて初めて味わう0点という結果がどれほど惨めだったか、今でも忘れられない。

クラスメイトの和の中で、自分はあまりにも異分子で、邪魔な人間だった。
彼ら彼女らの傍に行くと、纏っていた筈の朗らかな空気がみな掻き消えて無くなった。
何をするにも足手纏いだった。
早くこの学校から消え去ってしまった方が、誰にとっても喜ばしく、嬉しい出来事だろうのに、高校卒業の資格を取りたいばかりに皆に迷惑を掛け続けている、あまりに自分本位な、我儘な自分が本当に嫌だった。

だが、そんな中でも、時折廊下やあれこれのイベントで出会うS井さんとはまだ親交を保っていたのは、俺の学校生活の中で数少ない救いだったと思う。とはいえ、顔を合わせれば挨拶をし、彼女の校内発表があれば観に行って、終わった後に感想を語るくらいだったが。あの人の存在が当時の俺にとって、どれほど心の支えになっていたことだろう。
また、月に二度ほど通う病院では、たった一度だけ、院長先生の奥さんに、お煎餅を一枚貰ったことがある。学校が終わった後に訪れるものだから、いつも辺りはすっかり暗くなって、病院の閉まる数十分前、滑り込むように受付を済ませるのが常だった。彼女は「なんだか○○そうだから」と微笑んで、透明のビニールに包まれた薄いお煎餅を渡されたのだった。"可哀想だから"という言葉ではなかった気がするが、確たる事は覚えていない。
こうした、ほんの時折に訪れる微かな幸福を継ぎ接ぎするようにして、やっとの思いで日々を生き永らえているような人間だった。

何年次かは覚えていないが、二年次か三年次の学園祭があった。当時の俺の役割分担は思い出せない。何か当番を与えられていた気もするし、そうでなかったかもしれない。授業が終わったり、あるいは授業時間を学園祭の準備に割り当てられる度に教室を逃げ出していたから、何の役割を与えられていたのか、どうしても思い出せないからだ。
学園祭当日になって、教室には行ったものの、準備と開催の何やかやを横目で眺めた後、教室を出てうろうろと、賑やかな校舎を彷徨った。
なんだかんだ言っても、こうした明るい空間は好きである。お化け屋敷やら何やら、あっちこっちの出し物を特に目的も脈絡もなく体験して、時折自分の教室に戻った。
教室の出し物は、蕎麦屋だった気がする。いや単純に何らかの飯屋であって、提供している食事のメインが蕎麦なだけだったかもしれないのだが、それだけ当時に食べた蕎麦の印象は強い。教室の端、ベランダに面した一席を陣取って食事をしていると、人気の少ない教室の中、じいっと不安そうに、あるいは露骨に警戒の視線をこちらに向けてくるクラスメイトを見ると、微笑ましい気持ちになったものだ。俺は別に、突然教室内でナイフを振り回したり、自殺をおっぱじめるタイプの落伍者ではなかったのだが、当時の世相からして、そういった目線で見られても仕方のないところはある。
俺は当時から、そうしたクラスメイトたちが特段に嫌いではなかったし、むしろ今になっても、尊敬の気持ちも少なからず抱いている。とはいっても、名前も顔も、もう思い出せないのだが。彼らたちと、まるっきり赤の他人として付き合うことができれば、どれだけ楽しかったことだろう。ただの一人の客として、合法的にクラスの中に入る事ができたあの時間は、自分にとってかけがえのない思い出になっている。

そんな風に、半壊した学生生活を続けながら三年次に進級した。担任の先生は、30代後半ほどだっただろうか、とても温厚で誠実な、良い人柄の男性の方で、今でも尊敬しているが、今どこで何をしているかは、まるで分からない。去年に年賀状を送ったけれども、返事は未だ届かないままだ。

状況は何も変わらないまま、修学旅行の時期になった。
お金は積み立ててあるから、けっして行けない訳ではないのだけれど、俺は必死で、泣いて嫌がった。担任の先生は最後の最後まで、俺に行って欲しいと説得をしてくれたけれど、俺はどうしても嫌だった。今でもこの選択は後悔していないけれども、思い出すだけで惨めな気分になる。
他の生徒が修学旅行に行っているあいだ、授業こそ無いとはいえども、学校には登校しなければならない。その日は、緞帳のように厚い雲が空を覆い尽くした、凄まじい豪雨の日だった覚えがある。外の校庭でさえ真っ暗で、三年次の教室がある校舎は、それこそまるで夜のようだった。
教室で自習という訳にも行かず、自分はあまり馴染みのない、一階の校舎に連れて行かれた。図書室の向かい側にある、購買などのあるサロンへ繋がる部分で、渡り廊下を巨大化したような作りに、そのまま教室が並んでいる場所だ。校庭に面した校舎だから、放送室や進路相談室などがある事は知っていたが、実際に足を運んだことは殆どなかった。
俺が連れて来られたのは、放送室の隣の部屋だった。とても新しい部屋のようだ。明るい蛍光灯の光に照らされた綺麗な白い壁が印象的で、教室の半分ほどの部屋の中には、ほとんど調度品も何もない。ただ唯一、校庭に面した窓際に、使い古された灰色のオフィス机と椅子があった。「ここで一日、自習をしていて欲しい」と言い渡されて、俺は素直に了解した。
真っ暗な外の景色と、ごうごうと響く雨音、それとは対照的に静まり返った、光量の強い蛍光灯に照らされる真っ白な部屋の中は、あまりにも鮮明な光景で、今でも強く記憶に残っている。
珍しい風景を眺めつつ、午前中は静かに自習をしていた。一年の頃の数学の教科書を持ってきて、まだおぼろげに解法を覚えている、最初の頃の課題をやり直す。もう二年や三年の授業にはまるでついていけないけれど、これくらいの頃の勉強なら、微かに解き方が記憶の底に残っていた。実際に俺は、とりあえずのところ高校卒業の資格を持っている人間だが、実際の学力は中卒程度もない人間だ。職場の同僚や友人にこれを話すと、「さっさと中退すれば良かったじゃないか」と笑われるが、自分では特に間違った判断だとは思っていないでいる。
昼ごろになると、食事を取りに部屋を出た。相変わらず三年次の校舎の中は真っ暗だった。明るい照明が着いている場所であっても、そこには独特の雰囲気がある。とても湿ってじめじめした空気と、薄く泥の張った滑る床。はるか遠くの校舎からは、騒がしい、ひとびとの笑い合う声が微かに響いて来て、自分がとても不思議な空間に迷い込んできたような錯覚を覚える。俺はそのままパンを一つだけ買って、いつも過ごす三年次の教室へ行くことにした。
廊下の端から端まで、人気のない校舎。薄暗く静まり返った教室は、まるで放課後のようだった。教室に何が置いてあったかは覚えていないが、個人の持ち物が、ほうぼうの机の上に何個かあったような気がする。
自分の机にそっと座って、教室を見渡した。外は既に暴風雨になっている。不思議と落ち着いた、穏やかな気分のままゆっくりとパンを食べて、それからたっぷり30分は、そのまま教室の中で過ごしていたような気がする。
それから数日の間はそうして過ごしていた。何事も無く終わった数日間だったが、この時に覚えた多くの感覚やモチーフ、風景や光景は、当時から今までの八年ほどの間、いくらかその形状を変えつつも、絶えず夢の中に現れたり消えたりを繰り返している。

そうこうしているうちに、じりじりと卒業の日が近づいて来ていた。
定期テストで赤点を取る事はだんだんと少なくなって来ていたが、それでも成績はぎりぎりだったのに、なぜ自分が卒業できたのか、今でも不思議に思えてならない。こんな生徒に留年をされても迷惑だからだろうか、それとも先生方のお慈悲だったのだろうか。何が理由かは、自分には永遠に分からない事だが、それでも有り難い事には変わらない。

卒業式の内容がどうであったかは、まるで記憶に残っていないのだけれど、式典が終わり、最後の授業も恙無く締め括られたあと、俺はS井さんの教室に向かった。いつもと変わりのない、多くの友人に囲まれた女性だったが、大事な話があるからと時間を貰って、迷惑千万にも教室から連れ出したのだった。端的に言うと、それから彼女に三年間の感謝を述べて、「好きだ」と告白をして、賢明な判断にもすっぱり振られたのだが、もとより自分の気持ちを伝えることが目的だったのだから、後悔や残念な気持ちなんていうものは微塵もない。S井さんのご友輩に「未来の旦那さん?」と言われたのがひたすら嬉しくて、今でもよく覚えているが、当のS井さんはただ微笑んで、俺はゆっくりと首を振るだけだった。それから二人で写真を撮らせて貰ったのだけれど、現像した写真を送ろうかという申し出は、その場で断っている。メールアドレスも交換しなかった。
俺はもう、この学校の何もかもとは、まるっきり縁を切るつもりだったし、思い出も、自分が居たことさえも全て、すっかりなかった事にするつもりだった。実際にS井さんとの親交を含め、恩師に宛てた年賀状を、微かな文章を添えて便箋で送った以外は、あの学校の人間関係は何もかも潰えている。中学校時代の同窓会は、既に二度ほど出席しているが、高校時代の人間からは、そうした連絡はまったくの皆無だ。それでも構わないと言えば構わないのだが、もう名前も覚えていない彼らの顔を、また眺めてみたいという思いには、時折駆られることがある。そうした会合があるのなら、ほんの五分か十分ほど様子を眺めて、皆が元気そうなのを確認すれば、すぐに帰るつもりではあるけれど。S井さんも当時から器量のいい女性だったし、もう家庭を持っていてもおかしくないだろう。今をどうしているか、けっして気にならない訳ではないのだけれど、自分はもう、顔を合わせることすらできない、動く死体のような人間になってしまった。いつか花の一束でも贈りたいとは思っていたが、これは恐らく実行することもなく終わるだろう。
卒業文集も行方不明になって久しく、家のどこを探しても見当たらなくなってしまった。卒業式のあと、自分でどこかのどぶに投げ捨てたような記憶もあるにはあるが、ほんの数年前に自宅のどこかの本棚で見付けたような記憶もあり、その存在は非常に曖昧だ。そのうち忘れた頃に、ひょっこりとまた出て来るかもしれない。

あの高校を卒業したと同時に、自分という人間は一度死んだのだと思っている。あれはもう既に前世の出来事で、いまの自分とはもう別の人間の人生なのだと、そうして気持ちを処理するようになって、随分と月日が経った。過去とは一度断絶した上で、また人生をやり直している人間は、世間には意外と多いのではないか。書類や経歴の上では確かにメリットになっているのだから、別に気にすることもないのだし、それについて批判するような人間にも出会ったことはない。むしろ最近は、18歳という早期に一度人生が壊れてしまったというのは、逆に有益なのではないかと考えてもいる。これが30代や40代からの挫折であったのなら、その人間はもう取り返しがつかないように思うからだ。

高校を卒業してからの人生は、今はまだ語りたくない段階だ。これもじき、時間の流れの中で感傷が風化することによって、自分の中で整理がつき、赦す事ができるようになって初めて、文章として残すことができるのだと思っている。

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20110511 sudden drop

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Rain drop

綺麗な水滴。葉っぱをもうちょっと選べば、より良い写真になったかな。

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ウグイスカグラ(鶯神楽)

毎年この時期には撮っているウグイスカグラ。肥料をあげてないし土壌もあまり良くないので、相変わらず美味しくない……。本当はとっても甘い実なんだけどなぁ。

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藤の花

家の近所の林の縁に、たくさんの花を咲かせています。既に見ごろの時期は終わりかけているので、綺麗に整った花を探すのは大変でした。こうした薄い紫色の花は好きです。

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クレマチス

花弁にはカタツムリかナメクジの這った跡が残っていて、若干見栄えが悪いかな。赤紫色がやや毒々しいけれど、こう見えて儚い花なんです。毎年のように咲いてくれるのだけれど、すぐに虫やら鳥に食べられちゃう……。

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ナデシコ(撫子)

俺の好きな花の一つです。繁殖力がとっても強い子!朝方の曇り空に撮った写真だから映りが悪いけれど、かなり長く持つ花だから、またあとで晴れた日に撮影してあげたいな。せっかくの晴れ姿だもんね!
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2011年05月10日

20110510 恵みの言葉


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"SUBWAY"のBLTサンド
勤務の合間合間に、パンやカップ麺を購買で買って来てぼちぼち飲み食いをすると、かなり気分が軽くなることを発見した。摂取カロリーや消費する金額のことを考えると、おいそれと使えない手だが、対症療法が増えたのは素直に良いことだと思う。相当に魂の調子が厳しい日は、恐らくコレに頼ることになるだろう。
昔ではまったく考えられなかったことだけれど、最近は手っ取り早いストレス解消の手段を、美味しい食事に頼っている。「あとに残らないものに金は遣わない」という掟を自分に科していた筈が、月日が経つうちに変遷してしまったようで、空恐ろしい気分になった。今は気に入っている自分のこの人格も、いずれ得体の知れない何かに変貌してしまうんじゃないだろうか。


大切なひとの作品です。
その歌詞の内容に、多くの優しい人たちと共に過ごした、遠い過去の名残が多く歌われていることを教えて貰いました。
当時、共に活動していた多くの友人たちの触れ合いを経て、俺という人間は長きに亘る無残な沈殿から抜け出し、ようやく人間らしい生活を取り戻すことができました。汚泥の中からサルベージされました。あの頃に、自分の身の周りで起きた出来事は、実に不思議なことばかりです。何が好転に繋がるかは分からないものですね。ただ単に幸運であったのか、それとも知らない間に、自分は何らかの物事を成していたのか。自分にとって理想郷といえる、楽園といえる場所は、あの世界が生まれて初めてだったように思えてなりません。
暗く冷たい嵐に追い遣られた末、いつしかまっさらな島に流れ着いた、一つの草の種だったのかも知れません。
はるか遠くの賑わい、ひとびとの笑いあう明るい場所、そうした暖かい世界を羨望の眼差しで眺めながら、しかし自分は凍てつく様な冷たい空間で、まるで死んだように動けずにいる。
誰が悪いとかいうのではなく、ただそういう人間として生まれ付いてしまったのだと諦めて、薄暗がりで蹲っていた記憶はあまりに鮮明で、自分にとってそうした感情は、まるで影法師のように身近にあります。
こうまでくると拡大解釈かもしれませんが、見知った覚えのある感情がまるで他人事のようには思えず、ここに一文を記した次第です。
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2011年05月08日

20110508 Intersection

業務中に忙しくあっちこっちを立ち回れるというのは、とても心地のいいものです。まだほんの一部とはいえ、だんだんと自分の手で動かせる作業が増えて来て、作業場の中をウロウロしては端末を弄っています。
同期の新人が俺の他に二人いるという事にも、とても助けられています。なんだか彼らとは仲間意識のようなものが芽生えていますね。いまのところ、一番気軽に会話のできる同僚さんです。……相変わらず、一番おっかないのはS本さんで、あの人にはちょっと話しかけたくないなぁ……。
今のトレーナーさんが紳士的なこともあるけれど、やっぱり薬を飲んでいると、とても気分が楽になります。今の仕事環境はとてもいい具合なのですが、まだまださっぱり教育されている事が覚えられない……。

―――ここまで、六日の感想。

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今日の八日の帰り道、雲がとても高い位置にある。

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新緑の美しい季節になってきました。

六月までに仕事が覚えられなかったら、いっそのこと職場を辞めるつもりでいます。
いままでの経験からして、仕事というものは初歩的なものから一歩一歩、着実に一つずつ身に着けてゆくものだとばかり思っていたのだが、なんだか状況がおかしくなってきた。
巨大で途方もない、複雑にこんがらがった構造物をいきなり目の前に出されて、これを飲み込めと言われれば、誰でも困惑すると思うのです。この仕事ができるって事はつまり、現場での製品の流れをコントロールするってことで、それはつまりリーダーの仕事だと思う訳ですが、実のところもしかして俺はリーダー教育をされているの?
とにかくとっかかりの部分さえ見当たらない現状は、途方に暮れるばかりです。

疲れた身体を引き摺って帰って来れば、請け負っているイラストなど、プライベート寄りの方面にて多数の問題が発生していて気が遠くなった。色々ありすぎて吐き気が酷い。朝食が食べられない。今日も夜から勤務なので寝ます。あっちこっちにメールとかコメントも書きたいけれど、時間が無いのでまた明日です。おやすみなさいませ。
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2011年05月06日

20110506 半分は夢の話

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昨日を夜更かしし過ぎたせいで、今日は16時半頃に起きてしまったのだけれども、その代わりに非常に充実した夢を見れたので、とりとめもなく書き遺しておくことにします。
夢の最初の方の場面はもう覚えていないのですけれども。人気の少ない公共バスを使って、どこかからの帰り道を走っていた時がありました。ふと、まだとても明るい外を眺めると、凄まじく巨大な廃墟が目に入ります。草や苔を生して、ほうぼうに松の木が生える施設でした。廃墟の窓からは、既に使われなくなった時代物の装置が配線を外され、山のように積まれている所が見えて、まるでバリケードのようです。俺は居ても立ってもいられず、急いでそのバスを途中下車し、その巨大な廃墟へと走って向かいました。
廃墟の内部は、何故かとても綺麗です。どこかの公共施設のような、まるで図書館や公民館に思えるほど綺麗です。このとき俺は、何故か(ああ、文化祭をやっているのか)と思いました。(※てっきり明晰夢だと思っていたのですが、自分の思考を支配できていませんでした。境界の夢だったのでしょうか。)
照明の明るい、ホールのような場所だったと思います。手前の低い階段を上がって、安っぽいテーブルの一台置かれただけの受付に行くと、これまたもんんんんの凄く可愛い子が受付を担っていたのです。
色白で綺麗な黒髪のボブで、着用しているメイド服が死ぬほど似合ってました。2.5次元の生き物でした。(※苦手な方はすみません。ぶっちゃけAPHのメイドショック本田菊でした。)何故か当時の俺は(この子男の子だよね。)と確信していたので、とりあえずぎゅーってハグして、一緒に写真撮って、シフト終わったら一緒に遊ぶ約束をして、その場はとりあえず別れたのです。
そうしていよいよ廃墟に入ると、なんだか一気に雰囲気が変わるのです。赤レンガ造りの古い建築がそこかしこに建っていて、道の脇の街路樹には細い松の木がたくさん植えられていました。どこかの大学の構内のように思えます。そこからちょっと先に行くと、俺の腰くらいの背しかない小さな子供がたくさん集まっていて、彼らがぎゃんぎゃん騒いで何かを口々に言っていると思ったら、そこにはバスの中から見えた、廃機材というか、山と積まれた古い装置の塊がありました。そのすぐ傍を通って道なりに歩くと、秋葉原の電気街と言いますか、ラジオの部品を取り扱う小さな店がたくさんありますよね。もう現地には何年も足を運んでないのですっかり忘れてしまったのですけれど、天井の低い暗い廊下に電球やらLEDやらが沢山吊り下がっていて、道の両脇には、何に使うのか俺には分からないような細かな部品が、箱に入って売られていて、そうした道をゆっくりと歩きながら(さっきの子の携帯ナンバーとかアドレス聞くの忘れちゃったなぁ)とか致命的な失敗を思い出し痛恨に後悔しながら、まぁその後は道が続く通りに進んでいたのです。
一度またさっきの玄関ホール?にそっくりな雰囲気の場所に再び辿り着くと、そこはどうやら喫茶店らしき所のようで、レモンティーを一杯飲んで休憩して、また外へ出たのです。
外へ出たつもりなのですが、なんだか食堂のお勝手のような場所に出てしまいました。俺の脇を流れるベルトコンベヤーの上には、食事のあとの使われた食器が何個も積み上がっていて、そして俺の歩く後ろやもっと前には、他の見物客というか、そもそも俺が何十人もの列の中の一部だったようです。
とりあえず一番端っこの洗い場の一部を勝手に借りて、皿洗いのフリをしながらあの子を待つ事にしたのですが、それがまた、けっこう似た雰囲気の子は何度も通るんですけれども、(この子だ!)と思えるような本人はなかなか来ないんですね。それで、だんだん不安になってきた俺は洗い場を飛び出したのですが、出口のその先は、何故かまた別の雰囲気がする場所でした。
階段を昇った先には(※いつのまにか階段を昇っていたのです)まるで踊り場のような、広さにして6畳くらいしかない小部屋でした。照明はなく、壁は薄い青で塗装されたコンクリート造りのようで、自分の左手に窓が一つだけあります。窓から外を眺めると、まるで荒天の直前のような薄曇りの空が広がる、砂浜でした。海沿いには風力発電でしょうか、大きな風車が延々と視界の奥まで続いていて、そのまま無言でその光景を眺めていると、急に窓から外の視界が明るくなり、部屋全体が光に飲み込まれるようにして、目が覚めたのです。
なんだかすごく下手な文章ですみません。とても読み辛いと思います。
推敲もせずに長い文章を一気に書くと、酷いものになりますね。

AC4が発売されてからというもの、めっきり重二or四脚orタンクの人間になってしまいました。
……逆関節を愛する人間には、武闘派が多いと聞いています。AC2のAA頃まではまるっきり逆関節の中毒患者だった訳だけれど、せめてXが発売するくらいまでは、ぼちぼちあの脚に戻ってみようかな。

先日にコミティアがあったそうで、twitterやpixivで知り合いの絵師様方が多く出席されていた模様。自分もいつかはああいった大きなイベントに一般入場してみたいものだが、何と言うか性根が引き籠りなので、精神的なハードルが年々高くなり続けています。連れだって行けるような友人も近くにはいないし(心当たりはあるのだけど、誘えない……)。せめてまだ二十代のうちには、って思うのだけれど。

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昨日の五日には不用意に体調を崩してしまい、ほとんど一日中布団の中で横になっていたのです。四日は良く晴れた気温の高い日だったので、つい「もう暖かくなったのだから」と油断をしてしまい、掛け布団や毛布の数をかなり減らしてしまいました。そしてやけに寒い日和だった五日に、当然のごとくこれが裏目に出て、身体を冷やしてしまった様子。こうした肉体の脆弱さが、幼少の昔からとても悩ましいのです。

もう随分と前の話になりますが。やっぱりというか可愛い男の子がいっぱい登場するようなので、イナズマイレブンGOを観ようかなー観ようかなーと狙っていたのだけれど、結局のところ、当日の時間帯は寝て過ごしてしまいました。やはりアニメというものは…、というかテレビ自体だけれど、あれは意外と難易度の高い趣味で、身体に習慣として覚え込ませていないと視聴さえ満足にできないものですね。

さて、今日からまた三日間の出勤です。勤務中には分からない事、覚えられない事、把握できない事ばかりで、もしかすると自分は発達障害なのではないかと本気で危惧する瞬間に何度も襲われます。今服用している薬は、なにやら記憶力を阻害し、集中力や反応を鈍くさせるという副作用があるらしく、そうした点でも心配や不安は数多い。一生付き合って行く病気なのだし、もうこれからの未来連綿と、二度と一人前の仕事はこなせないのだと、強い諦めの気持ちを抱いています。
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2011年05月04日

20110504(2) Until the end.

夜勤明けの朝の光は心地よい。
上手い喩えが見付からないのだけど、まるで長い永い、圧迫感を持つ暗闇からすっと抜け出したような、大きな開放感がある。
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昨日今日と初めて、自分に与えられたID番号で機械を操作できるようになりました。今まではトレーナーさんのIDを借りて訓練していたのです。まだまだ使わせて貰えるのはほんの一部の機械だけだけれど、きちんと自分の力だけで製品の一端を手掛けられるようになったのだと、少なくない感慨を得ることができました。

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木漏れ日の森

過去の自分とは「違う人間だった」と断絶することでしか、
今の気持ちの足場を確保できないでいる。

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先日の二日、茨城の笠間市にて、陶芸教室を受講して来ました。一日だけの飛び入り参加です。手ごねで作るかろくろを回して作るかにより、料金に違いが出ます。ろくろでの造形を選んだ俺は、最終的な料金が五千三百円くらいになったかな。
貰った粘土の半分以上は手酷い失敗をしています。でも徐々にながら手捌きが慣れて来るので、後半はパッと見上手い具合に出来上がったような気がする。出来た作品は焼く時の釉薬の色を選択したあと、講師さんに引き渡します。乾燥させたり実際に焼いたり、そしてゆっくり冷やしたりが必要なので、出来上がるのは一ヵ月半か二ヶ月以上先とのこと。実際に手元に届くのは、それからまた更に先になるそうです。
posted by TRBRCHDM at 22:04| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

20110504 会心の一枚

近年稀に見る会心の撮影ができた写真があるので、SXGA壁紙サイズで貼っておきます。

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ミヤコワスレ

その他の雑兵どもは適当につらつらと掲載。
夜勤直後の身体は疲れ果てていて、いつものような花への一口コメントが思い浮かびません。

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モッコウバラ(木香茨、木香薔薇)

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カラー

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マツバギク(松葉菊)

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ボタン(牡丹)

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キンセンカ(金盞花)

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花と虫
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2011年05月02日

20110502 後輩について

ここで言う『後輩』っていうのは、俺がぼちぼち書いていた小説に出て来るヒロイン格のキャラのことです。もう先月の二十八日のことになりますが、pixivのマイピクであるさんに、あの子のイラストを描いて頂けました。(※宮さんのHPはこちらです。■恋愛ジャンク

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華奢で白くて、肉付きのない薄い胸、鎖骨や肩の骨格はまったく男の子だけれども、白いワンピースと麦わら帽子の似合う、こんなに綺麗で可愛い子に描いて下さって、感無量です。
親馬鹿なようで申し訳ないのですが、あの二人は自分としましても、とても大好きなキャラクターですので、こうして皆様に愛されて頂けると、まるで自分のことのように喜んでしまうのです。
宮さんをはじめ、多くの方の心に残る作品を書き上げたことで、自分の中でも一つのマイルストーンを残せましたし、何より、彼らに自分の思いを乗せることで、過去の記憶や今の辛さを肩代わりして貰うこともできました。
なんだかマトモな文章が頭に浮かばないので、ここいらへん自分のメッセージからの転載なんですけれども。文章書きとしては失格ですね……。
ちなみに、第八話「あなたと、そして、これからのこと」の挿絵として使わせて貰っております。
実のところ、この子にも先輩にも、ちゃんとした名前を考えてあるのですが、人名を付けるのがなんだか苦手というかしっくり来ないというか、自分の中で納得が行かないので、今のままで十分なのです。

とりあえず頭の中で新作の構想を練っているのですが、どうしても過去の作品と似たり寄ったりな設定や展開になってしまいます。まだまだあの先輩後輩シリーズの中で、書き足りない部分が数多くあったという事を思い知らされますね。どうせならあのシリーズをもっと突き詰めたいとも思うのですが、似たような作品を何度も何度も修正するのは、せっかくこんな自分の作品を楽しんで下さっている皆様へ、あんまりな裏切り行為だと思うので、いまのところ全く手を着けていません。どこかにpixiv以外の小説投稿SNSなどがあれば、そちらに再投稿するのはアリかもしれませんけれども。

古いノートパソコンを親類から譲って貰えそうなので、意外と執筆活動の復帰は予想より前倒しできるかもしれません。
それでは、今日から工場のフル出勤開始です。ちょっと苦手な夜勤ですけれども、何とか薬と二人三脚しながら頑張ろうと思います。しかしながらやはり、不安は拭えないものですね。
posted by TRBRCHDM at 14:13| Comment(0) | TrackBack(0) | オリキャラについて

2011年05月01日

20110501 四月に読んだ本

2011年4月の読書メーター
読んだ本の数:8冊
読んだページ数:413ページ

■少年メイド 4 (B's-LOG COMICS)
こんな可愛らしい男の子メイドを雇えれば人生勝ち組一直線だろうがよ…。いつもながら、健気さと可愛さが際立つ少年です。めんこい、実にめんこい。基本的に感情をぶん回すような過激なお話はなく、徹頭徹尾ほのぼのまったりを通していますので、シリーズとしての安定感と信頼性はバッチリ。とはいえ、この四巻でシリアスの影もチラホラと出て来ましたね。でも結局そんな暗い話にはなりそうもない感じで、実に心穏やかに読める良作に仕上がっています。
読了日:04月02日 著者:乙 橘
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10444360

■わぁい!vol.4
高槻ツカサ先生の『ぱすとふゅーちゃー』、すえみつぢっか先生の『リバーシブル!』が今のところの二強。というかそれくらいしか楽しめたモノは無かった。カスカベアキラ先生のインタビューは押えておきたい所だが、何度もこうした尾頭付きの盛り合わせのような豪勢な残弾に頼ってもいられまい。オマケもオマケでターゲット層がイマイチ理解不能だし…。良いモノは良いのだが、これを毎月買い続けるとなると、聊か財布の中身との兼ね合わせに悩んでしまうなぁ。
読了日:04月03日 著者:
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10455349

■BLOOD ALONE(6) (イブニングKC)
物語にヒグレが出て来ると安心する。悠々とした落ち着きを崩さない、冷静沈着で合理的な人柄は、相変わらずどこか不安定な物語に、一つの大きな要石があるようで心が安らぎます。柔和そうな少年の外見に秘めた、物語の中での最年長者であろう燻銀の貫録が素敵です。
読了日:04月06日 著者:高野 真之
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10503733

■Aチャンネル (1) (まんがタイムKRコミックス)
キャラと絵柄が可愛いけれど、まったくもってそれしか取り柄のない漫画だった。天然アピールもホドホドにしといてくれないと、逆にウンザリしてしまう。4コマのクオリティなんて、所詮はこの程度なのだろうか。友人から勧められて読んだが、次の巻を手に取ることはないだろう。
読了日:04月06日 著者:黒田 bb
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10514650

■ピアノ男子 (B‘s-LOVEY COMICS)
タイトルにちょっとだけ胡散臭さを感じるが、内容は良質。とても真摯に悲恋を描いている作品が多く、儚く可憐で美しいショタっこを愛する方々には非常にお奨めできる単行本です。表紙の絵柄と淡く切ない雰囲気に惹かれた方なら、まず間違いなく満足いただける品質。Amazonのおすすめ商品から手に取りましたが、なかなか侮れないものですね。
読了日:04月09日 著者:はる桜菜
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10548377

■先生の恋日記 (B’s‐LOVEY COMICS) (ビーズラビーコミックス)
可愛らしい黒髪ショタ好きにはお奨めの一冊です。明治の書生と文豪の衆道を描いた作品ですが、途中まで悲恋進行ながらも最後はしっかりハッピーエンドで纏めており、後味のスッキリした良作。えっちなシーンは少ないけれど、少年と大人の揺れ動く心の交流を楽しめる人には十分楽しめる一作かと思います。
読了日:04月09日 著者:はる桜菜
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10557659

■第二次世界大戦紳士録
第二次世界大戦を駆け抜けた、ドイツと日本の英傑たちを一人一人紹介。ほんの掻い摘んでの説明だが、とっつきやすい簡易な説明なので、なるほど非常に分かり易く、そして楽しめる。成し遂げた業績について後世の評価は分かれるだろうけれど、みんな豪勢なイケメン揃いでたいへん眼福に読破できました。勉強になりつつ、笑いながらしんみりもできる良書です。
読了日:04月29日 著者:ホリエ カニコ
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10874745

■ゴルゴ13SPECIAL CHOICE喪服の似合うとき (SPコミックス コンパクト)
数多く発売されている、ゴルゴ13シリーズのチョイス版。かなり古いストーリーばかりを集めているようで、現在に続いているシリーズのゴルゴとはだいぶ性格や心理、行動が異なっている。ゴルゴのまだ若かりし時代の戦いと見れば、なお彼の人生の深みを味わうことができるのではないか。
読了日:04月30日 著者:さいとう たかを
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/10895952


▼読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/
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