昨日二十九日に、バイクに跨って土浦市中央の亀城公園に行って来た際、ついでに寄り道をして、あちこち思い出の土地を旅して来ました。例えば、俺がまだ小学生の頃に通っていた、霞ヶ浦スイミングクラブ。見た所まだ現役で運営している様子で、閉鎖していなくて一安心でした。思えばあれが俺にとって、初めて出会った学校外の集団活動でした。両親が俺の気管支喘息を何とかしようと考えて受講させたのですが、これがまた実際に効果があったようで、少なくとも日常生活を問題なく送れるようになったのは、このスイミングスクールのお陰です。それまでは、大笑いをしただけで軽い発作が起きたし、少しでも空気の汚い場所に行くだけで夜通し発作に苦しめられましたから。

ここには昔、ハンバーガーの自販機があって、ちゃちい代物な上に当時の俺には手の届かない値段だったものです。近場にはスーパーがあって、終わった頃の気だるい時間に売り場をうろついていたり、あるいはちょっと遠出をして、デパート『ピアタウン』の玩具売り場に出没したりしていました。昔はここの試遊台で、サターンのバーチャロンを時間一杯遊んだものです。今でもまだコーヒーショップや、本屋、ゲーセンの配置はそのままでも、やっぱり玩具屋は時代の流れに梳られて、姿を消してしまっていました。
身の回りの事、目の前の仕事だけに集中して、他の嫌な出来事、社会のやるせない事件や事柄は、なるべく目に入れないようにしていないと、心がどす黒く汚れ、真面目に一生懸命、きちんと前を向いて生きようとは思えなくなります。ネットで政治や犯罪の話を目に入れるのは、正直まったく、自分の心には害毒にしかなりません。ただ、まるでモズのはやにえのように、こうしたおぞましい情報も心のどこかに残しておかないと、将来になって自分の方向性が定まらなくなってしまうのではないかという危惧はしています。
果敢に大上段に社会を語る人々とは正直あまり関わりたくないと思うは、自分のこうした心の弱さに起因するものです。
全体を俯瞰したところで、自分が何か社会に影響を与えられる立場にはありません。今現在はまるでレミングの一匹のように、全体を知ることも無く前へ前へと突き進むまま、大海へ身投げする人間でしかないのは、正直辛いばかりです。今はまだ勉強の時、経験と技量を積んで、一人前の社会人になるための修業の期間とはいえ、為す術なく沢山の出来事が手遅れになってゆく風景を見るのは、ひたすら胸が痛みます。

六時過ぎに近場のスーパーカドヤへ買い物に行ったんだけど、その帰り道に野良の子猫を轢きそうになってしまって怖かった。やっぱりネコには車のヘッドライトってすっごく眩しいんだろうね。直視すれば人間だってくらくら〜ってなるもの。夜行性のネコにはさぞ恐ろしい光なことでしょう。道端で凍ったように動かない、小さなネコを見て、慌ててハンドルを切ったので最悪の事態は免れたけれど、背筋のひやりとする体験でした。怖かった……。
そして現在、資格取得のパンフレットを勝手に廃棄されたのでヤケになって絵を描いています。俺の部屋を無断で漁るのはまだいいけれど、俺にとって必要なモノを独断で処分しないで貰いたいものです。コレ下手すりゃ何かの事件の発端になるぞ!いや俺の部屋には別にロクなモンは置いてないし、何かやられたって別にそんな無体な事はしないけれど、昨今の時勢を鑑みるに、人が人なら大惨事に繋がりかねないと思うんだが。

そしてまぁ、絵の製作が纏まらないのです。
ここ数日はロクなもんが出来上がらないよー。