先日のこと、Twitterのタイムラインで流れていた自衛官の話で唐突に思い出したのですけれど、自分の古い友人の一人に、(もう本名書いちゃいますけれど)「関崎」という男がいます。彼はまあ彼の自慢話によると、かのイラク派兵などにも行った、なかなか頑張っているほうの自衛官の一人でした。以下、彼の話をほぼそのまま書いているだけなので、各所正確でない記述もあると思います。
ですが彼、かの五年前の震災の時の救援活動で大怪我をしてしまって、その後遺症を理由に自衛官を辞めたんだか辞めさせられたんだか、ともあれ自衛隊からは離れてしまったそうです(なんでも左半身の後遺症か何か(どこそこが動かないとかなんだとか)また左足の指数本が無くなってしまったらしいです)
で、その関崎はのち音響技師(と言うのでしょうか?)の仕事をしていたようで、たとえばアーマードコアVのガトリングガンの音をサンディエゴの空軍基地で録ったとか聞きましたね(酒の席のお話ですので、事実かどうかは不明ですが)。彼とのACVはチームは違えど交流があり、使っていた機体のアセンをよく覚えています。左ハンガーにはロータス一本、主力は左手のランポードと右手の威力ガト、肩にフラロケと容量ジェネ積んだ軽二でしたね。当時の軽二使いは希少でしたし、やたら強くて笑いました。
しかしまあ、数年前に関崎も結婚し、子宝にも恵まれたのですが、生まれたお子さんが先天的に内臓に重い病気を患っていたらしく、移植手術のために数千万(さすがに億は行かなかったと聞いています)の借金をしてまでお金をかき集めたそうなのですが、それでもお子さんは、残念なことですが助からなかったと聞きました。
そのあと奥さんとも離婚してしまったそうで、それから関崎とは音沙汰も無く何年も経ったのですが、まあ幾らか前に連絡が来まして、今は屋久島でなんかやっているらしいです。生きていて良かった!ちょっと前に慰めのつもりで「おめーの半生を小説にしてやんよ〜」と彼の目の前で大見得を切ったまま随分と長いことほったらかしですが、お互い50ぐらいまで生きながらえていたら書いてやってもいいかな、くらいに思っています。