2011年04月19日

20110419 思い出ばなし #1

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この世に生まれてから、一番最初に見た光景の記憶がある。
大きく開け放たれた廊下の窓から射す、とても明るい太陽光線を後光に、自分から見てはとても大きな大人が、じっとこちらを見ているという光景。その大人が誰かは分からない。女性か男性か、老人か若者かさえはっきりしない。あまりにも眩い光が邪魔で、その人のおぼろげな輪郭しか、記憶に残っていない。

小学校に入った頃、その時代はまだ"いじめ"という現象が、一般には広く認知されていない時代だった。保育園や幼稚園でも一応の集団生活はあったし、勿論トラブルも絶えなかったのだが、その頃にやられた事には、明確な悪意とはまったくかけ離れていた。
確かに、泥を満タンにしたバケツを頭から被せられたり、知らない誰かにお弁当をゴミ捨て場に放り投げられたりというような事はあったものの、そんな諸々の出来事は、まだ精神の未熟な子供が一時の激情に駆られただけの事だし、大人もきちんと叱り、指導は果たされている。それに加えて、後腐れというものとも無縁だった。

背が低く、のろまで鈍臭い、人間に対してどう対処したらいいかを全く知らない、要領の悪い子供だった。言われたことだけはこなせるが、その先をどうしたらいいかも分からない。
元気でやんちゃな連中が多く集っていた小学校では、必然的に脇に追い遣られ、静かに過ごさざるを得なかった。
素直で従順な事だけが取り柄で、手がかからない分、他の子供の世話に追われる教師たちにとっては、こちらの方に目を届かせる必要も、きっと薄かったのだろうと思う。
酷い喘息持ちで、腹の底から大笑いするたびに苦しい発作が起きるから、自然と笑う事もなくなった。身体も酷く虚弱にできていて、季節が変わるだけで風邪を引くくらいの子供だった。

学年がいつだったかの記憶は無いが、当時の席順というのはあいうえおの名前順が定番で、俺の席の近場には、Yという子供が座る事が多かった。Yは、当時の学年の中でも格段に体格が良く、背も俺の頭二つ分は高かった。
Yはなんというか、もともと特殊学級の子共だったのだと思う。
彼の身の回りに何かあれば、それが授業中だろうと平気で暴れた。
粘土を投げつけて来たり、何の前触れもなく席を立ち上がり、奇声を上げながら前蹴りをして来た事もある。俺はそうした彼の一挙手一投足をが酷く怖くて、席変えの度に怯え、彼と離れられれば過剰なほどに安堵していた覚えがある。

問題と言えばそれくらいのことで、勉強も順調に覚えたし、友人も多く作ることができていた。やはり感情を抑えられない連中に、無闇に巻き込まれる事も多かったが、所詮はただ単に子供が暴れているだけだった。

そんな生活の、どこか、何か様子がおかしくなり始めたのは、小学校も高学年に差し掛かったくらいの頃の話で。

まだ三月か四月か、それぐらいの肌寒い頃だった気がする。一人での下校中に、四〜五人ほどの人間に絡まれて、囲まれたのだった。その連中が誰だったかは覚えていないが、恐らく同学年の人間のように思える。
彼らは口々に、「用水路に入れ」と言うのだった。訳も分からず混乱していると、彼らはやけに怒り、怒鳴り始めて、ほとんど彼らに引き摺られるようにして、下校路の脇にある用水路の縁へと歩かされた。
彼らがあまりに凄まじい剣幕で怒鳴るものだから、俺はすっかり怯えきって、とりあえずズボンと靴下は脱いだものの、あんな汚くて流れの速い用水路に入るなんて、とてもじゃないけれども決心がつかない。
ぐずぐずしていると髪を引っ張られて揺さぶられ、それから恐る恐る用水路のコンクリート岸壁に手を掛けたけれども、そこから先の、水の中に入るという行為がどうしてもできなかった。
あまりに怖くて泣きだしてしまって、何を言われても泣くしかできない俺に諦めたのか、彼らはそのまま去ってしまったが、俺はそれから何週間も、一人で用水路の傍を通ることはできなくなってしまった。

同じ犯人ではないだろうが、それからのこと、学校の持ち物が頻繁に無くなるようになった。絵の具セットは二回も無くなってその度に購入したし、習字用具は中身ばかりが無くなった。
そうすることで何より嫌だったのが、「また無くしたのか!」と、親や教師に延々と責められる事だった。実際に自分がどこかへ置き去りにしてしまった可能性もあるが、教室から外へ持ち出すなんて事は殆ど無かったし、そもそも自分のロッカーから出す事自体があまりない。
この『持ち物が無くなる』という事態には、これからの学校生活で自分とは切り離せない出来事になる。

昼休み、クラスメイトがほぼ全員、グラウンドやどこかへ遊びに行っているとき、俺は図書室で本を読んでいたり、あるいは教室の学級文庫を読んで過ごしていたことが多い。本を読むのは何より好きだったし、それに例えグラウンドへ出たところで、サッカーや鬼ごっこの中に加われない子供だったからだ。
運動が苦手で、明らかに遊びのお荷物にしかならない俺は、誰にも誘われなかったし、自分からも遠慮している。
ある時、そんな風に教室から出て行かない俺を教師が散々叱りつけて、それからのこと、やっとグラウンドへ出るようになったが、遊ぼうにも遊び相手がおらず、一輪車も乗れない、高い遊具には昇れない子供だったりで、延々とグラウンドや校舎の周りをうろうろと歩いて、そうして時間を潰していたのをよく覚えている。

こうした辛い記憶も一部にはあったが、なんだかんだ言って小学生の頃はまるっきり平穏に過ごせている。
比較的に言ってとても平和だった小学校時代の気分を引き摺りながら、ふと中学校へ上がると、変に知能のつき始めたガキどもが、大手を振って無茶苦茶をやり始めるようになるのだった。
posted by TRBRCHDM at 22:25| Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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