2011年04月30日

20110430(2) 思い出ばなし #2

Euphoria_small.jpg

俺が恙無く進学したのは、村に一校しかない、地方の中学校だった。全校生徒は六百名ほどで、金ばかりはだいぶ余裕のある村だったから、設備はやたらと充実していた覚えがある。ただし生徒は柄の悪い連中が非常に多く、通う前はひたすら不安で心配だった。

一年生として中学校に入学して早々、ツキのないことに、おかしなクラスへと編入されてしまった。小学校での友人や、それよりも付き合いの古い幼馴染連中とは全く引き離された、孤独なクラスを振り分けられたのだった。
それに加えてこのクラスには、自分の好き放題に生きているであろう頭の悪そうなのが四人ほど居たのだが、学年早々にその一人に目を付けられてしまった。
理由は恐らく席が近かったからで、不思議なことに、クジ引きで席替えをする度に、そいつらは俺の近い席に陣取るようになる。前と後ろに引きが来るなんていう事態もしょっちゅうだったが、何か仕組んであったとも思えない。ただ単に運が悪かっただけの事だろうが、それでも理不尽に思えて仕方がなかった。
後ろから椅子を蹴られるなんて事はしょっちゅうで、文房具を破壊されたり、机を使い物にされなくされたりも一度や二度ではない。
単純な暴力にも暇はなく、何の前触れもなく腹を殴られたり、部活棟の裏でリンチを受けたり、宿題のために提出し、再び配り返される筈のノートをベランダから外に投げ捨てられたこともある。自転車にはあまりに頻繁に悪戯されたので、なんとか頼みこんで職員用の昇降口に置かせて貰っていた。
石を投げつけられて左手の甲を負傷した時の傷跡は、今になってもまだしっかりと残っている。

そして、この教室の担任がこれまた難物だった。三十代かそこらの、若い、神経質そうな、担当教科は英語の女教師で、酷く夢想的と言うか、自分の言葉や思想に酔う節があった。俺が切羽詰まって相談したところで、「あなたは私に何をして欲しいわけ?」と言い放ったことを、今でもはっきりと覚えている。荒れ放題やりたい放題のクラスをどうしようとしたのかは分からないが、HRで泣きながら演説を一席ぶったりもしていたが、当の本人たちはニタニタと笑うか、ブツブツ何かを言うだけだった。

当時、深刻に参っていた俺は、勉強以外に何かをするとか、何か前向きな目標を持つことが考えられなかった。二年次に上がる頃、学校からはしょっちゅう『将来の夢』『大人になったらやりたい仕事』『進路志望』とやらのアンケートが回されて来るけれども、何を書けばいいのか皆目見当もつかない。
もう仕方がないから「早く何か犯罪を犯して、刑務所に入って一生を過ごしたい。」と書いたら、教師も親も誰もかれもが怒り狂い、すっかり参ってしまっている俺を更に追い詰めるようになじり、猛烈に叱責してきた事をよく覚えている。
心身ともに疲弊しきっており、自分について自信も尊厳も何もない当時の俺は、本当にそうなる事を望んでいたのに。
こんな一つの取り得もない自分に、何か立派な仕事ができるとは到底思えなかった。何かを成し遂げようとする目標も持てない。家庭を持てるような人間にも思えなかったし、大金を稼ぎたいとも思えなかった。
それを書く度に、あまりにこっぴどく怒鳴られるものだから、それにも嫌になって、適当に思い付いた職業を一つ二つ書くようになった。
しかし、そんな雑な提出物も教師たちは無闇に読み込んでいるようで、「先月は○○になりたいって書いてたのに、今は××なの?」などと質問してくる。
仕方ないので「はい。」と答えるしかない。
正直に「なりたい職業はありません。将来の夢はありません。」と答えると、「ない訳がないだろう!」と激昂するのだから。

そうこうするうちに、何とか無事に中学を卒業できたのは、今でも奇跡に思えてならない。こんな所からは早く脱出したい一心で、遠い所にある単位制の進学校を目指して、必死で勉強したのが実を結んだか、ちゃんと第一志望の高校に受かることができたのだった。
ただ、同じ高校を受けた友人たちが揃って不合格判定を受けてしまったのは誤算だった。
posted by TRBRCHDM at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | その他
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